2006年 10月 07日
10月6日 金曜日。 アパートに移ってから1週間が経ちました。 60歳のタンザニア人の独身おばあちゃん、大家さんのママ・ローズとのルーム・シェアです。 今はママ・ローズの友人で私と同い年のジェニーが仕事でナイロビから来ているので3人の共同生活です。 家事分担の特に決まったルールはないけれど、みんなやれる事をやれる時にやっています。 夕食もママ・ローズがウガリと魚の煮込みを作り、私がサラダを一品つくり、それを3人で食べる、といった感じ。 一緒に食べることもあれば、バラバラで食べるときもある。 不思議な共同生活ですが、3人それぞれがあまり気を使わないので、とても心地よい空間になってきています。 ようやく少し生活が落ち着いてきた感じです。 Sitting room of our apartment 難航していた就労ビザの取得も、敏腕会計士のインド人に代行を頼んだので早ければ今月中には取れる予定。 以前は心の中でよくバカヤローと叫んでいましたが、最近はとても穏やかです。 イライラすることも少なくなってきました。 少しずつタンザニアの生活ペースに慣れてきたのでしょう。 ビザが取れるまであと3週間。 今はダラダラとこの予定外の休暇を楽しんでいます。 この2ヶ月間は「タンザニアは甘くない」という先制パンチの連続でした。 就労ビザの取得が上手くいかない、船便の荷物が通関でひっかかって発送できない、ビザの更新でイミグレーションにいけば相変わらずワイロの要求。 一人でレストランにいれば頼みもしないのに寄ってくる男たち。 最初に結婚しているのか? 恋人は? と聞かれる。 Noと答えると「なぜ?」 私も知らん。 正直に答えると「電話番号教えてくれ」 「次はいつ会える?」 「僕はサファリ会社をやってる、サファリに行かないか・・・etc.」 最近は面倒くさいので結婚しています。 だんなは日本にいます、と答えるようにしている。 ビザが下り次第、自動車の輸入会社で働く予定だ、と答えると「君の会社で雇ってくれ」 「僕も日本車が欲しい。 ディスカウントしてくれるか」・・・・etc. これも面倒くさいので、「友人を訪ねて遊びにきた旅行者です。サファリはもう行きました」、と答えるようにしている。 街を歩けば知らない人からも「ジャンボ!」「マンボ・ヴィピ?」「ハバリ」(元気か?という意味) の声が飛んでくる。 私も「ンズーリ」 「ハバリ・クヮーコ?」(元気よ。 あなたは?)と答える。 つきまとう子供の物乞い。 一度食べ物をあげたら、しっかりと顔を覚えられて会う度にねだられる。 道に座り込んだ多くの身体障害者の物乞いたち。 道端で人が死にかけていても誰も助けない。 助けたくてもお金がない。 サバンナのライオンや像と同じ。 体が弱ったら死ぬしかない。 これがタンザニアの現実だ。 貧しくもハングリーにその日を生きる、多くのアフリカ人の中になぜかポツンといる黄色い肌の日本人の女に対する現実だ。 街中を歩くとうっとうしい事も多い。 街を歩いている時は、きっと顔つきが険しくなっている。 歩くテンポも日本にいたころより早い。 でもだからといって、金持ちWAZUNG(外人)のように車で家と目的地を往復するだけの生活をしたいとは思わない。 4年前に初めてタンザニアに来たときは、自分は確かに憧れのアフリカにいるのに、これらの世界がとても遠くに見えた。 生活者にならないと見えない世界がある。 どうしてもそれを見たかった。 こっちに来てまだ2ヶ月。 まだまだ始まったばかりです。
by KilimanjaroID
| 2006-10-07 19:44
| Africa-Arusha
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